子供の頃から手仕事、ものを作ることが好きでした。えいむです。
でも大体、人よりもちょっと器用、くらいの出来栄えで飛び抜けて素晴らしい作品もなく
なんか自分でないと作れないものってないかなーと探索しながら色々と手をつけていたら
ただの器用貧乏になってしまい、結局何も極めることができないでいました。
そんなふうに入れ替わり立ち替わり色々な手芸工芸をやりまくっていたために、下を向き続けた影響で首を痛めました。
二十代半ばにはストレートネックに。三十歳頃には前傾するようになりました。
でも整形外科的には神経にも触ってないし、ヘルニアでもないので、正常範囲ということで。
変に触って骨がずれて半身不随とかにさせられないので、直したければ整体とか行ってください。とのこと。
真面目に整体に通ったものの、結局対症療法でしかなくよくなることはありませんでした。
そして下をむかずにできる手仕事を探して蜻蛉玉に出会ったわけです。
でも今までは切ったり貼ったり、パーツを組み立てたり繋いだり、という作業をしていたので
温めて溶かしてくっつけて組み合わせて、形を変えて、というガラスには始めて10年以上経ってもてこずっています。
これは先日作った重曹を使って岩のような表面にする玉。
ちょっとやりすぎました。重曹をつけすぎたのか、焼き込みすぎたのか。
一応模様はナザルボンジュウだったんですけど、ほぼ見えないですね。
何故この日はナザルと勾玉なんてスピリチュアルなモチーフにしたんでしょうね。自分でもよくわからず。
重曹加工がメインだったから、模様は簡単なのにしようと思っただけなんですけど。
ナザルボンジュウは別名メデューサの目。悪いものに目をつけられないようにするお守りです。
その昔アラビアンコーストのお店でも売ってましたなぁ。
香水瓶よりもナザルをお勧めする変なキャストでしたw
最近家でやっている手仕事はオルゴナイト作り。
ガイドになってからは浄化パワーをプラスした盛り塩オルゴナイトがcreemaでよく売れています。
私がそういうパワーを出しているんですね。きっと。
他のが売れなさすぎて人に受け入れられる芸術的センスはないのかね、とちょっと項垂れます。
でも自分に自信がなければパワーもしっかり出せなくて、そんな貧弱なオルゴナイトが当たってしまったら購入してくださった人に悪いなぁと
自分のコンディションと、環境やテンションwをしっかり整えてから作るようにしています。
ただ前述の通り、7月にかなり落ちておりましたんでなかなか作る気にならず。
引きこもりも手伝って悶々とただ日々を送っていましたが。
6月過ぎからまたガラス教室も再開されたので、通っています。
ガラス教室の日はスクールに日程が決められているので、自分に外出を強いて出かけていきます。
一回出かけてしまえば全然普通にしていられるし、プロテクションをして出かければ嫌なことにもそうそう出会わないのだけれど。
出かけるまでに何故か意気込みが必要というか、元々腰が重いので出かける支度をするにもすぎていく時間に勝てなくなってしまうんですよね。
何に負けているんだか、と思います。
7月に落ち込んでいたときにも、一体何に負けてそこまで落ち込んでいたんだろうと、今になって思います。
(きっかけはしっかり説明できるのですが、それがどうしてそこまでになるのかが問題。)
人は最終的に必ず死ぬわけで。死ぬのが最後の仕事なわけで。
最後に死ぬために生きるのならば、途中のことをすっ飛ばしてさっさと死んで何が悪い。
という自殺を肯定するような考えに囚われて逃れられなくなっていたんですよね。
でもそういう考え方は映画マトリックスでネオの友達がハンバーガーを食べながら言っていた言葉と同じなわけで。
自分が生まれた意味なんてない、と言ってしまうのは簡単だけれど
意味を考えようとも感じようともしないで何を言っているんだ。と。
何かしようと思って始めたはずの人生を、目的を忘れたまま終わらせるなんて。
まぁそれを思い出せなくて皆もがいているのですけれど。
未だにこれが作りたかった!というもの作りに出会えていない気がしているので、諦める前にもうちょっと探究してみようと思います。
そんな、自分が生まれてきた理由についてもアデプトプログラムでお話ししています。
連続した2日間で合計10時間。日程調整しますのでリクエストください。
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