自分ではどうにもならないこととはそこら中にあるものです。
そこで自分は無力だと感じるか、自分は大きな流れの中にいるんだと感じるか、もがくか委ねるか、いくらでも選択肢はあるものです。
選択は決定を強いるのであまり得意ではありません。えいむです。
決定には責任が伴い、また結果がついてくる。
それが不本意であった場合に、どう向き合ったら良いのか悩んでしまう。
私は植物性のキャンドルを愛用しています。
パラフィン製とは違って炎で温まっても柔らかくなることはなく、氷のように個体がいきなり液体になります。
なので外気に触れていて融点に達せない縁の部分は溶けずに残ることが多いです。
溶け残った縁の部分の長さが3〜5センチくらいになると、内側にポキポキ折って落として一緒に溶けるようにしながら使っています。
先日、この写真のようになんとなく綺麗な不思議な残り方をしました。
物理的に製作時の混ぜ方とか固まり方とか、エアコンで冷風が漂っていたからとか、理由は色々考えられますが。
スピリチュアル的にはキャンドルの溶け方がちょっと特徴的な時には、火と風のバランスや、周りにいるそれを司る存在が云々。意味があると言われがちですね。
私はそう言うのはよくわからんのですが、チャネリングスクールの訓練を始めた頃には何故かキャンドルの炎のそばに穴が開いて溶けた蝋がトレーに流れ出してしまうことが多かったです。
そして溶け出さないようにキャンドルホルダー入りのキャンドルを使い始めたら、今度は芯が倒れてガラスに触れてホルダーが割れるということが何度かありました。
だんだんそういうおかしな解け方をすることは減り、こうやって綺麗に溶けるようになってきたのはごく最近ですね。
経験を積んでパスを進み始めたからでしょうか。
どちらにしろ、自分ではどうにもならないことはいくらでもあるものです。
並行現実とは同時に存在する違う世界のことを言うのならば
私が全く知らない世界は私の現実とは違う現実なのだから
私の全く知らない場所で私の全く知らない生活をしている私の全く知らない人というのは
同時に存在している違う世界に住んでいるわけで。
存在するかしないかをいろんな理論を振りかざしていろんな公式を当てはめて
あーでもないこーでもないといろんな肩書きを持った学者さんたちが議論するほど
難しいことじゃないんじゃないかな、と思う。
あ、一応私もひも理論の簡単な構造は理解していますんで。頭悪い発言と一蹴しないで下さいね。
自分ではどうにもならないことは全て自分の手の届かないところにある並行現実として捉えて差し支えないのではないかと思うのです。
子供の頃からパラレルワールドはいくつかはあるかもしれないけれども、それは限られた宇宙の一大事にだけ起こり得ることであって
私の人生において、自分が決断を迷ったからと言ってそこで突然二つの世界が始まったりはしないのだと考えていました。
だってそんなことでこの地球上の何十億という人間全て、何千億という生き物全てにパラレルワールドがいくつもできていたら
一体宇宙は幾つ存在するんだい。ということになってしまう。
地球が属する太陽系は天の川銀河の端っこにあるそれはそれは小さな世界で、宇宙にはそれはそれは数え切れないくらいの銀河や惑星があるのだから、
まさか地球のような星が他にないわけがないでしょうし、地球よりも進んだ星もたくさんあってそこの宇宙人たちが地球にやってきているのも普通だろうし
地球と全く同じ条件で、けれども大事な選択に違う方を選んだ星があってもおかしくないというか、きっとあるだろうと思います。
でもそれはこの地球に今現在生活する私たちにとっては知り得ないことであって、もしかしたら事実かもしれないけれども確かめようがない以上はただの妄想だと言われても仕方のないことだと思います。
そこまで考えて、遠くの宇宙にあるであろう違う世界も、地球の裏側に実際に存在する私の知り得ない世界も、私にとってはどちらも同じように私の知らない世界であると思ったのです。
現実かどうか確かめ得るかどうか、それだけの違い。
だとしたら、並行現実とは自分とは交わらない流れにあるもの全てではないのか。
川の流れはずっと同じに見えて、そこを流れている水はさっきそこを通った水とは違う水なのです。
水は川の流れに乗った以上、自分で流れから外れることはほぼ不可能なのです。
もしこうしていれば、とたらればの先の並行現実を夢見るよりも現実を見なければなりませんね。
キャンドルを見つめながら瞑想をしていてこんなことを考えました。
それから、宝くじに当たる確率も何千、何万分の一とか確率は出せますけども、くじを買った本人には当たるか当たらないかの二つなのだから確率は二分の一と言っても間違いではないんじゃないかな、と思います。
あれ、ちょっと違う?
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