某ハイブランドが某安売り衣料品店とコラボした発売日に暴動が起こっているという話題をネットで見ました。
ハイブランドが安く買えるからという理由で買う人はそのハイブランドに対して、それだけの価値を見出せず自分に釣り合うものとして評価していないのに
それを身につけている、というステータスを得たいとは思っていて、
安く売ります。と言われたら、じゃあ買います。って何なんだろうと思いますね。
某大型スーパーの家具寝具売り場にいた時も、難癖つけてどうにか値引きさせようと必死なおばさんたちを見ると、その値段を払う気のないくせにそれが欲しいとかおこがましいな。と思っていました。もちろん口には出しませんが。
自分を高く見せたいのに高い金を払う気はない、っていうのがどれだけ価値の低い行動だかわかっていないというところが残念です。
現在コロナ禍で経済的に厳しく、私もお買い物などは結構我慢していますが
あ、これいいな。値段見て買うか決めよう。と思ったものが軒並み買えないほど高価格という相変わらずの目利きを発揮していますw
直感鋭い私ですので、そういう本当にいいものに目が行きがちなのです。
中高生時代には安価な洋服屋さんとかで服を買っていたものの、
私は一度気にいると一生気に入りっぱなしで、しかも超大切に使い続ける人なので
安価だったために質が悪く、すぐにダメになってしまいあんなに気に入っていたのにお別れせずにいられないというのが本当に残念でした。
10代後半から20代にはかなり高価な服も買うようになったのは、そういう理由でした。
1000円で買った服が半年でダメになって悲しい思いをするなら、1万円の服を10年大切に着よう。と。
いまだに20代の頃に買ったお気に入りの服を大切に着ています。
(体型的にちょっと着れないものが出てきて体を鍛え直さねばと思っている日々。)
いいものに目がいく、ということはいいものと私の波長が合う。ということなんだろうと思います。
音楽でいいハーモニーが心地良いように、自分自身と自分に纏う服や近くに置くものがいい波長で自分と一緒にいい音楽を奏でてくれれば居心地が良くなるのです。
損得勘定や利害関係などをまず考えてしまうと出会えない、ということですよね。
ディズニーキャストをしていて、たまにお客様に「この前見たあの商品欲しいんですけどまだありますか?」と聞かれ、すでに売り切れだった場合に
「見つけた時が買い時ですよ。せっかくいいなと思う出会いがあったのですから、それを逃さないためにも。見つけたときにいいなと思ったものはその出会いを大切にしてくださいね。」
というような言葉をよく付け足していました。
ディズニーではパークでの思い出を家に帰ってからも思い出せるように、また一緒に来れなかった人にも分けられるように、お土産を選んで持ち帰ってもらう。という概念です。
パークでの思い出はそれぞれ違うので、お土産もたくさんの種類を用意しているのです。
出会いや思い出というものは、やはりいい印象、思い出した時にまた幸せが蘇るものとして大切にしたいですからね。
いいものを周りに置き、自分のいい状態を保つ。というのは大事なことです。
ただ、周りばかりがいいもので埋め尽くされていても、自分自身が低いレベルであったらそれに見合わないということになります。
自分を高めるためにまずはいいものをそばに置く、というやり方もありますが
やはりまずは自分自身を高めた上で、いいものと波長が合うようにそれをキープする。というのが本来ではないかと思うのです。
自分が良い状態であれば、良い波長のものとチューニングしやすくなって、見つけやすくなり手に入れやすくなり、それをしっかりと傍に置くことができるようになります。
そしてさらに波長を合わせれば、良いメロディやハーモニーが奏でられ、どんどん増幅されるのです。
まずは自分が本物にならなければ、いくら高価な本物を近くにおいても、それはお飾りに過ぎず、波長など合わない。
おもちゃのピアノでは奏でられない複雑な曲も、88鍵の本物のピアノならしっかり演奏できるのです。
だから自分を高め、88鍵のピアノを自由自在に演奏できるようにしておかねば
おもちゃのピアノでさえ、そこらで拾った石ころと同じような、誰の興味も引かないただの置き物になってしまう。
まずは自分が本物になれば、自然にいいものと波長があいそれを生かせるようになるのです。
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