文献

私は文章を書くのが好きです。

若い頃までは文章を読むのも好きでした。

ちゃんとした速読をしていたわけではなかったけれど、読むのはかなり早かったです。

けれどもそれなりに歳を取ってからはなぜか活字を読むのが苦手になりました。

しかも縦書きの活字が特に。

おかげであまり本を読まなくなりました。

読んでも内容が頭に入らなかったり、同じところを3回ずつ読んだり。

しおりの挟んであるちょっと前を読み返しても、読んだ記憶が全くなかったり。

発達障害の症状がひどくなってきた頃と重なるので、きっとそのせいでしょう。

世間がコンピューター化されるのと同じ頃から本を買わなくなりました。

写真や図面など資料的に手元に保存したいものは本で買いますけど。

今ではネットで検索すればなんでもわかるようになっているし。

でもパソコン画面に出てくるのは文字じゃなくて記号なんですよね。

パソコンやスマートフォンで横書きの文を読むのが苦ではないのはそういう理由なのかも。

最近暇つぶしに脳内妄想ストーリーw を文章にするようになりました。

もちろんパソコンで横書き。

パソコンスキルは低いけれどもタイピングはかなり早いワープロ世代です。

中学生の時に書いた処女小説は友人たちには好評でした。

あれを書いて以来、ネタはたくさんあるのですがほとんどは文章にはせずにお話はずっと頭の中で回っているだけでした。

(っていうか。使いすぎてワープロが壊れ、せっかく書いたものもプリントアウトしていないデータはそのまま無かったことになりました。)

コロナ禍でずっと家にいて暇つぶしにゲームをやったりしていたものの

本当にただの時間潰しで何にもなってないなと思い、またちょっとずつ始めました。

が、文章は発表するまではただの手元の資料でしかなく何も生み出さない訳で。

結局暇つぶしだよなぁと、一回やめていましたが。

最近の現実的な焦りも重なって、気晴らしも兼ねてまた再開しました。

今書いているのはサイコホラーのはずが、最初と最後のギャップを作ろうとしたら

冒頭がティーン向けラノベみたいな甘々話になってしまい、自分でなんだこれは?と手が止まってしまい、なかなか進みませんw

小説を描き始めた中学生頃に、やっぱりサイコホラーのお話を書く資料用に解剖学とか心理学とかシリアルキラーとかそういうちょっと普通の人は読まないような分野に興味を持ち

そういう本を集めたかったのですが、そういう専門書は大体高くて買えないので

専門書ではない買える程度の値段のものは買い、買えないものは本屋で立ち読みをしていました。

高校、大学時代にはよく有隣堂伊勢佐木町店の地下へ医学書を立ち読みしに行ったものです。

今手元にあるのは数冊ですが、実家に置いたままのそういう本たちも早く持ってきたいなと思っています。

まぁ、きっと読むのに労力を必要とするでしょうが。

というか、それよりもきっとカビ臭いだろうなぁ。実家の掃除、全然されてないから。

私が資料として欲する分野は特殊な部類に入るので、ネットではあまり集まりません。

テレビのドキュメンタリーなどでちょっと名前だけ知ったものとかを詳しく調べようとすると、ネットでは資料が見つからず。

更にそういう分野の本はやっと古いものを見つけても全く手に入らなかったりします。

表現の仕方とか、内容が差別的だとか、そういう理由で流通しなくなったものもあるでしょう。

それに最近の倒錯的事件の犯人宅にはそういう普通の人が読まないような本がたくさんあったという報道もよくされますしね。

数年前に一生懸命探したものの、全く資料が手に入らなかった連続殺人鬼H.H.ホームズ。

(ホテルの図面とか見てみたいのに、どこを調べても見つからない。)

アメリカン・ホラー・ストーリーというドラマシリーズで、そのH.H.ホームズを題材にしたお話をやると聞いて、

ふだんホラーは見ないのですが、ホテルのシリーズだけはしっかり見ました。

まぁ結局ホームズの幽霊や吸血鬼が出てくるただのホラーでしたけど。

好きな俳優、マット・ボマーも出てましたし。キャシー・ベイツもいい味でした。

このドラマが私が実家を出ようと思ったきっかけの一つでもありますが、またそれは別のお話で。

スウィーニートッドもH.H.ホームズに似てるなぁと思ったけれど、スウィーニートッドはフランスで、ホームズはアメリカ。

年代的に言うとホームズの方がこのお話を見たかもしれないんだなという時間の流れ。

最近はそう言う怪談話を信じて実現させようとするような猟奇殺人もなくはないし、その先駆けだったのですかね。

私が興味を持ったそういう分野のことを調べるのは、すでに事実として存在するならば私が再現するまでもないから。でもあります。

実験してみないと本当か分からないから実験してみた。と供述する犯人が多いのはそういうことだなとも思ってますし。

だから怪しい本をたくさん持っているからと言って、私はそれを実行しようと思ってはいないのです。

もし私が変死をした場合に家や持ち物を調べられて、こういう怪しい本をいっぱい持ってました!って言われちゃうんだろうなぁとは思っています。

今は魔法道具なんかも色々ありますしねぇ。怪しさ満点なのは自覚がありますわ。

文献や資料というものはあくまでも過去にあったことの記録や、過去にそれを確かめた人の報告であり、確認とひらめきのきっかけ以外には何にもならないとわかった上で私はそれを求めます。

決して教科書にはなり得ません。

もし教科書として使うにしても、それはあくまでも参考書や理解の仕方を記録した文献であり、学ぶには足りないものです。

小学生の頃公文式に通っていました。

その頃はまだ算数教室しかなく、国語や英語を始めるにあたってモニターになってくれと試作問題を色々やらされましたが、幼稚園児向けレベルしか作られておらずなんじゃこりゃと思いました。

っていうか、英語を書き取りだけで覚えるの無理でしょ。と思ってたので、今はリスニングもできるようになっていると聞いて安心しました。

結局小学校5年に公文はやめたのですが、理由は誰も教えてくれないから。でした。

最後の1年くらいは高校数学の教材をやっていたのですが、先生が解き方を教えてくれないのです。

数Iくらいならまだ、わかりにくいものの一応公式を使う順番くらいは教えてくれましたが

基礎解析や微分積分に入った頃には、模範解答が書いてある指導者向けの回答本を貸されて、これに解き方が書いてあるからそれを見ながらやりなさい。とだけ言われ、誰も教えてくれなくなりました。

ぶっちゃけ、それを丸写しすれば満点が取れるわけですが。

1ページ1問、1行だけ印刷されたプリントに長々と公式を解いていく過程を書くわけだけれど、いきなりその公式が書いてあるので「なんでそれ使うの?」という質問には答えてくれないんですよ。

問題のどこを見て、どの公式を使えばいいのか教えて欲しいんだけど。と言ったら、その本に書いてあるから。と言われ。いや、書いてないし。と不信感を持ったのでした。

今思えば、きっと先生が理解してなくて教え方がわからなかったからなのでしょうが。

当時小学生だった私は教える側の人がわからないわけがないと思っていたので、なんで教えてくれないんだろう。いじめかな?教えてくれないんなら習う必要ないでしょ。本買って済ますよ。と思って通うのをやめたのでした。

あの頃いい指導者にあっていれば今頃優れた数学者にでもなってたんじゃないかとかも思いますが、会わなかった時点でもうなれないこと決定だったわけで。それも実力の一つなんですよ。自分から会いに行こうとまで思わなかったわけだし。

まぁ今更言ったところで、ですがね。

そういうことを考えると、アデプトプログラムが2日間かけてガイドがしっかり説明をするというのは学びとして正しいなと思います。

教科書や参考書をいくら見ても、わからないものはわからないですもん。

しっかりと学んできたからこそガイドはそれを説明できるわけで、教科書の朗読会しかできない受け売り教師とは違うのですよ。

お金はいただきますが、きっかけはほんのちょっとでいいんです。

興味があって。なんか面白そうだなと思って。受けるといいよと言われて。

それも十分にきっかけで、アデプト受けたいと思って、ガイドのところにそう言ってもらえれば、受けれるんですからね。

私が公文をただ辞めるだけでなく、さらに次の指導者を求めていれば世界が開けてたかも、とか後になって後悔したようにならないよう。

アデプトプログラムを受けたいな、と思った方はご連絡ください。

Philae Glass

Craftwork and Healing Studio

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