お茶が好きすぎて、1日家にいると多いときは3リットルくらいお茶を飲みます。えいむです。
腎臓に良くないなぁと、子供の頃に腎臓弱いかも?と言われた私は思います。今の所大丈夫ですが。
今日のお茶は祁門紅茶をアーモンドミルクでミルクティーにしました。
スモーキー系のお茶にアーモンドの香ばしさがよく合います。
祁門は紅茶ですけど中国茶に属するので、杏仁豆腐っぽいアーモンドの香りが特に合う気がしますね。
これから夜には水出しのルイボスティーを飲むつもりです。
私は若い頃、某大手スーパーの家具寝具売り場にいました。
カーテンも取り扱っていて、オーダーなども承っていたのでそこそこ知識があります。
うちのレースカーテンは外が透けて見えないタイプです。
本来は道沿いなどのお宅で外から家の中を覗かれないようにするためのものですが。
我が家の窓から見える、軍艦島のようにそびえ立つ向かいの丘の上のマンションがあまり良い景色ではないこともあり
セッションでお越しいただいたお客様の気が散ってはいけないな、と思って景色の見えないタイプにしました。
西日が入るのでUVカットで遮熱加工のミラーレース。
サッシも二重ガラスでUVカットなので、灼熱の夏の日差しも窓とレースカーテンを閉めてあれば
強い日差しも太陽の熱もそれなりにしのげます。
ただ外の景色が見えない程度に目が詰まっているので、閉めると景色が見えないだけでなく、ちょっと明るさも減りますね。
暑くも寒くもない時期に自分一人でいる時にはできるだけレースカーテンを開けて、
明るさと、空と緑が目に入るようにしています。
逆に暑くなってきてからは朝から夕暮れ時まではカーテンを閉めているので、空と緑が見えずに寂しい思いもしています。
今がそういう時期ですね。
でも昼間ちょっと外を覗こうとカーテンを開けると、窓とカーテンの間にこもった熱がむわっと襲って来るので
ちゃんと仕事してますねぇ。暑さにやられるよりは景色我慢しますーと思います。
目隠しって、あっちから見えない代わりにこっちからも見えないんですよね。当たり前ですけど。
これがエゴってもんですよね。
見られたくないけど自分は見たい、とか。あっちもこっちも欲しい、とか。
だからと言って、これを我慢するからこれをやらせてね。って相手にいうのも、同等条件での取引のように見えて、言い出しっぺの都合で言っている以上、絶対にフィフティフィフティじゃない訳で。
そこにはどうしても言い出した方の価値観や正義というものが振り掛けられているわけで。
損して得とれ、おまけ思考のある日本人には悪くない考えではありますが。
幼い頃、大人の言うことは文句言わずに聞きなさい。と育てられてきた私はどうしても確実に間違っていない限り相手のいうことを聞きがちで、いけないなぁと思います。
実はこれも、相手の言うことを聞いた以上は相手に責任があるわけだから聞いてあげる代わりにちゃんと責任取れよなー、と言う消極的なエゴが入っていると言うことに私は気づいていて言うことを聞いていたと言う可愛げのない子供でした。
小さいことには目を瞑る。と言うのも、損して得取れ、が隠されていることが多いのですよね。
自分が楽して得するために、相手の取り分が多いと認識しつつも、下手に出て言うことを聞いてあげる。と言う馬鹿にされているとも知らずに、な見下し思考。
あまりに丁寧すぎる敬語も同じこと。言葉だけ最上級に敬っておけば悪い気もせずに応じてくれるでしょ、っていうね。全然そこまで尊ぶつもりなんてないのにね。
謙虚な日本人の裏側に存在する怖いお話。詐欺に引っかかりやすいのもこのせいですかね。
逆に高圧的態度によって相手を押し込める人も。そういう態度で行かないと勝てない、ってわかってて自分が上だぞ、という意気込みだけ見せる。
私の近くにもそういう人はいましたが、ああ私のこと怖いと思ってる?と感じたものです。
うちの死んだ父もそういうところがありましたが、自分を下に見られたり小さく見られることを許さないプライドを持っていると
何となく勝てそうな相手に対して必要以上に高圧な態度に出がちなものです。
私も今はガイドになりましたが、まだスクールの段階を歩み始めた頃には先輩さんによく理由もなく命令口調で強く、納得のいかない指示を受けたものです。
(そして先日、スクールでちゃんと習ったわけでない、知り合いにそういう言われ方をしたことがほぼ間違っているらしいことを確認しました。
立場を利用して、且その立場であるがために知らないと言えずに適当な自分の考えをさも正しいかのように教えていたんだな、と思う。)
ガイドであるという立場が、そうでない人に対して高い位置に自分を保たねばならないというプレッシャーと、皆がなれるわけではないガイドという自分に対してのプライドがそうさせているんでしょうなぁ。
口に出しては決して言えませんが、ちょっとかわいそうだなぁと思ってしまいます。この人はちゃんと心から仕事に真摯に向き合えているんだろうかと。
ディズニートレーナーをしていたときにも同じことを感じましたね。
立場が上であるだけで、高圧的な態度を平気で取る人はその立場が確保されているところ以外では、自分は強くないということを知っていてそういう態度をとるのです。
だから、というわけではありませんが、指示、指導する立場にあったとしても
単純に始めた時期が早かったから知識が多かったり例をたくさん見てきたりしているだけなので
上からものを言う立場であるわけではないということを理解せねばならないのです。
私は常に自分の知識を知識自慢のために話しているわけではなく、それを知らない人にも知ってもらうために知識をシェアするために話しています。
この投稿の前半のカーテンのお話もそうです。普通にカーテン売り場にきたお客さんに説明するのと同じに、せっかくだからきちんと理解してからの方が納得もできるしお得ですよ。というシェアなのです。
けれど、そうでない人は、進んでいけばこのくらい当然よ。当たり前になってくるから、早く進めばいいよ。逆に知らないと進めないから私の話をちゃんと聞いて、私みたいに進みなさい。という言い方をしてきます。
ほんとに、それを正面から聞いている方はもちろん、そういう言い方をする人のことをかわいそうに思ってしまいます。
プライドという盛り土がないと土台が不安定なんでしょうね。ちゃんと最初から固めて作ってきていたら、そんな不安定になることはないのに。無理な近道、突貫工事でもしてきたんですかね。
そしてそういう言われ方をし続けられてきた受け手の方の人が今度そのくらいの立場になると、全く同じ態度を取ったりします。
日本のよくない伝統だなぁと思います。
今は体罰は良くないとか、差別的発言はしないとかいう風潮になっていますが
昔はそうやって高圧的に罵声や暴力を浴びせられて、我慢して育ってきたからこそ
自分がそれをやれる立場になったときに同じことをまるで復讐のようにする。というのが当たり前でした。
そしてその道を通らなければ先へ進めないという、本当ではない脅迫をするのです。
俺を倒してから行け、という人ほどすぐ倒れるもんですよ。
俺は倒されたことはない、ってそりゃ大口叩いて逃げてりゃ倒されませんがな。
私は説明は得意なので、説得はできますが。ハッタリは全然言えません。
だってどう聞いても理不尽で自分が理解できないことを人に伝えるなんて難しいことは私にはできませんもの。
そう考えるとプライドを掲げてハッタリをかませる人って、実は頭いいのかも?と思いますが、根本が間違ってるのでやっぱり頭悪いなぁに落ち着きますな。
という書き方をすると、そういう人たちにお前の方が偉そうに上から物を言ってる、と言われるのですが。
私は自分の足でしっかり立っている場所から喋っているので、私が上からに感じるのはあなたが勝手に自分を下に置いているからですよ。と言いたいです。
私は同じところに立って話しましょう、と隣を開けているのに全然上がってきてくれないで
周りを飛び回りながら意味もないうるさい音ばかり立てていて、蚊だな、と思います。
でも蚊は命をかけて卵を生むために哺乳類の血を吸いにきているので、そういううるさいだけのものを蚊と言ってしまうのは蚊に失礼だな、と昆虫好きな私は思ってしまいます。
こうやっていくつもの考えを生み出して自らループにハマるのも、いろいろなものを大事にしすぎて自己検証からの反論に結論を出せないからですよね。
めんどくさくてすみません。
こんなだから永遠に考え込んでしまうのですよ。
見なくていいものには目隠し布をかけて、見たくないものには自分に目隠しを。
全部を見て全部にいいところを見つけて生かしていくのは無理なんですよね。
存在を認めながらも自分に必要かどうかを見極める。
優劣つけず、否定肯定せず、そこにある現実と真実をしっかり見る。
実は一番大切なのはそれなんじゃないかと思います。
価値観というのはあくまでも個性で、自分の価値に合わないからといって否定するべきではないし
自分の価値観に合わないものも誰かの価値観からはとてつもなく貴重だったりする。
そういう多方面からのものの見方ができるだけで、見えるものが増えていくもの。
ただじっとしていたのではそこの風景は変わらないし、せっかく自分が価値を認めたものも他の人にその価値をシェアすることもできない。
行動力がなさすぎて蹲ったまま考え込んで動けない私には、今そういう行動が必要です。
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