情熱と制限

気がつけばもうひと月半もほとんど家にいます。えいむです。

うちは24時間ゴミ出しOKなマンションなので、曜日感覚はもう無いに等しいですね。

テレビっ子すぎて毎日ほぼずっとテレビをつけっぱなしですが、いつもの番組がやってなくて

ああ週末なんだ。と思うくらいです。

お金さえどうにかなれば、とりあえず生きながらえることはできるんだなぁと思います。

でもただ時間を過ごして、命を繋いでいるだけでは生きていることにはなりませんね。

私が今ここにいることを誰も気にしていない。誰も必要としていない。

いてもいなくても同じなら、いない方が無駄がなくていいじゃない。

それでも生きているのは、何かするためなんでしょ?じゃあ何を?

特に日本人は自分がやりたいことよりも、自分ができることをやろうとします。

人に認められること、人よりも上に行くこと、人に求められることを欲します。

そんなこと子供の頃には考えたこともなかったのにね。

何かをやりたくて生まれたはずなんだから、やりたいことをやればいいのに。

でも自分は何をやりたいのか?という模索を、大人になる過程でやめてしまうんですよね。

自分のできることの中から仕事を探して、命を繋ぐためのお金と世間体を得る。

だから毎日疲れるし悩むしイライラする。

やりたいことをやっていない証拠。

やりたいことであれば勝手に情熱がわいてくるから、悩みやイライラは思った通りにうまくいかないことに対して起こるだけで、疲労として現れることはない。

ただそれをわかったところで、今まで自分のやりたいことに対しての探索や模索をしてこなかったから

何をしていいかわからない。

やっていて楽しいことから探っていけばいいだけなのに。

私は子供の頃から手を動かすことが好きで。手芸や工作、楽器の演奏、いろいろやってきました。

でもそれが祟って大人になった頃には首を悪くしていました。

だから下を向く作業、大体の手仕事ができなくなってしまったんです。

そこでいろいろ探して見つけたのが、蜻蛉玉でした。

机の上に上向きにおいたバーナーの炎の中でガラスを溶かすので、机に向かって座り正面にある炎を見つめて作業します。

これなら下を向かずに手作業ができる。

でも今までは紙で模型を作ったり、ビーズ細工や縫い物など、常温で乾いた変形しない素材しか使ってこなかったので

「ガラスを溶かす」という作業は、温度や時間で形が変わり、力加減でも形が変わってしまう素材がとても難しかったです。

逆に新たな領域に挑戦だー、と最初はとても楽しかったですね。

だんだん思ったようにできないジレンマに陥りながら、家にバーナーを置こうと引っ越したはずなのに

他にやり始めたことに重きを置いたために、バーナーを揃えられなくなり未だに教室で習う時だけの作業になっています。

そして今コロナの影響で教室は休講中。もう2ヶ月もバーナーに向かっていません。

ガラスやりたいなぁと、思いながらもできない今日この頃。

作業中に必要になって引いた細引きガラスやパーツなどが余っていたので、

マイクロモザイクでも作ろうかな、と休講前にちょっと持ち帰っておいたものがあります。

私が普段オルゴナイトを通販しているcreemaというサイトで、台座になりそうなものを買ってみたので

それにガラスパーツを埋めるように貼ってモザイク模様を作ってみようと思います。

太いパーツは教室で切って持ってきましたが、モザイク用のガラスのほとんどは

玉にした時の実物よりも少し小さいのです。

溶かし込んでいるうちに広がったり、クリアガラスをかけることでレンズ効果により大きく見えたりするからです。

だから結構小さめだなぁと、こう改めて眺めると思いますね。

あ、モザイクに埋められない立体のイカパーツを持ち帰ってきたのは謎ですw

しかも体にヒビ入ってるし‥‥。

クラゲならまだしも、なぜイカを持って帰ってきたんだ。

今までオルゴナイトにもガラスパーツを入れたことがあります。

これからもちょっと気が向いたら入れてみようとは思っています。

さて、どんなものができるか。楽しみに。

それよりも先に最近大人気の盛り塩オルゴナイトを作らなきゃ〜。

オーダー品が終わったら、creemaにも出品しますので

気にしてくださってる方はちょっとお待ちくださいね。

Philae Glass

Craftwork and Healing Studio

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