今から15年前に東京ディズニーシーにタワー・オブ・テラーというアトラクションがオープンしました。
ディズニーシー5周年記念アトラクションだったので、シーは9月で20周年ですね。
10周年も15周年もなんだか不遇だった記憶がありますが、また20周年もコロナ禍ですね。頑張れディズニーシー。我が故郷w
私はそのタワーのオープン時にベアトリス・ローズ・エンディコット率いるニューヨーク市保存協会(NYCPS)の発足会員として、元ホテルのスパだったところに設置したお土産屋兼写真屋の運営に携わっておりました。
ハイタワー家の邸宅がハリソン・ハイタワー三世によって増築され、現在の形となったこと
世界の貴重な遺品のコレクションを人々に公開するためにホテルとして営業を始めたこと
呪いの偶像シリキ・ウトゥンドゥの呪いによってハイタワー三世が姿を消したと言われていること。
あのアトラクションには映画が3本くらい撮れそうなほどの壮大なストーリーが元になっています。
海外のディズニーパークにあるタワー・オブ・テラーとは違い、ただお化けが住み着く幽霊ホテルではないのです。
オープン後20年くらいかけてストーリーを少しずつ明かしてく予定でしたが、東日本大震災の影響で色々と計画が変更され、もうそのストーリーも明かされることはなさそうな雰囲気ですね。
ちなみにハリソン・ハイタワー三世はソアリンのカメリア・ファルコと同じくS.E.A.(Society of Explorers and Adventurers)のメンバーです。
S.E.A.についての詳しくは東京ディズニーシーのフォートレスエクスプロレーションに行ってみてください。
タワー・オブ・テラーのハイタワー三世の書斎で実際に見ることのできる呪いの偶像シリキ・ウトゥンドゥ。
NYCPSとしては、その呪いというものは信じていません。
確かにハイタワー三世が失踪した時にシリキ・ウトゥンドゥを持ってエレベーターに乗ったこと、乗っている最中に緑色の稲妻がホテル・ハイタワーを直撃したこと、壊れたエレベーターをこじ開けたらハイタワー三世は姿を消し、シリキ・ウトゥンドゥだけがエレベーター内で発見されたこと、は確認されていますが
あれは南米から持ち帰ったただの木像であり呪いなんて存在しません。と言うのが、NYCPSの公式見解です。
なので、NYCPSの制服を着たキャストに言わせればあのアトラクションは
ハイタワー三世の貴重なコレクションをそのまましまっておくのはもったいないので、皆さんに見ていただくために閉鎖されていたホテル・ハイタワーを公開し、
ホテルロビー、書斎を通り、客用エレベーターは壊れているので秘密の倉庫を通って業務用エレベーターで最上階のハイタワー三世のペントハウスにあがってもらい、そこでも貴重なコレクションを見てニューヨークの景色を堪能して、降りてきてもらう安全な見学ツアーです。
と、答えることでしょう(というか、そう言えと教えていましたw)
なので、海外の幽霊ホテルと違い、キャストは笑顔でゲストを迎えツアーに送り出し、ツアーを終えたゲストのことも笑顔で迎えてパークへ送り出します。
そんなNYCPSですが。
私個人的には考古学、古代文明好きから民族学にもちょっと興味があるので
このシリキ・ウトゥンドゥの設定については興味津々で話を聞いたものでした。
コンゴ川流域に住む原住民族、ムトゥンドゥ族に伝わる呪いの偶像、シリキ・ウトゥンドゥ。
元々はシリキという名のシャーマンが行っていた呪いの儀式を、シリキが亡くなった後も継続するために作られた木像で
シリキのパワーを維持するために首にかけたドクロのペンダントの内側にシリキの遺骨が入っています。
掟8箇条を必ず守ることと、呪いを実行してもらうための捧げ物として、作られた当時には珍しくなかなか手に入らなかった鉄を直接シリキ・ウトゥンドゥの体に埋めることで呪いを起こしてもらっていました。
最初の頃は鉄板の切れ端をシリキの遺骨に近い胸のあたりに差し込み、だんだん文明が伝わってきた頃からは鉄の釘を頭に打ち付けるようになりました。
シリキ・ウトゥンドゥに願いが聞き届けられ、呪いが発動すると瞑っていた目が開いて緑色に光り、閉じていた口が笑うように開くということです。
掟8箇条を破った時にも、破った人に対して同じように呪いが発動します。
ハリソン・ハイタワー三世にもこの呪いが発動され、あの世とこの世の狭間を永遠に彷徨うことになったのです。
ちなみにハイタワー三世が破った掟は
崇拝すること → ただの木彫りの人形だ、と崇めるつもりなど最初からなかった
燃やさないこと → 吸っていた葉巻の火をウトゥンドゥのおでこで消した。
閉ざされた場所にしまわないこと → ムトゥンドゥ族から譲り受けた後、船で輸送するために小さな木箱に閉じ込めた。そのために船はずっと大荒れの嵐の中を航行することに。
疎かにしないこと → 写真撮影のために胸抱いた後、撮影後はその辺に放り投げた
馬鹿にしないこと → ただの木彫りの人形で何の力もあるはずがない、と馬鹿にしていた
放置しないこと → 記者会見や写真撮影以外ではそのあたりに置きっぱなし
そして何より恐れること → 呪いなんてあるはずがない、何も起こらないと全く大事にせずもちろん恐れることもなかった
ということで。
他人に譲る前に失踪したために、他の人に渡さないこと、以外の全ての掟を破るというコンプリートっぷりで呪われて当然なのでした。
そしてあの世とこの世の間を彷徨いながら、自分と同じく好奇心を優先してシリキ・ウトゥンドゥを敬わずに見物に来る人々に、自分の書斎で警告のメッセージを伝えているのです。
死ぬほど怖い思いをすると性格が変わる、というのは本当なのでしょうね。
生前のハイタワー3世だったら絶対にしなかったことですから。
でも、ある程度満たされているともっと上を目指したいという欲が強くなり、上を目指すために周りの人を貶めて自分より下に置きたくなるというのが、人間のエゴというものです。
そしてそれが自分には許されると思うことが1番のエゴだと思います。
私は自分を過小評価しがちですが、過大評価することも同じく間違った行動ですね。
シリキ・ウトゥンドゥとは、スワヒリ語で「災いを信じよ」という意味だそうです。
災いとは、自分が原因ではない誰も悪くない不幸な出来事のことを言いますが、結局のところバタフライエフェクト、誰かの何かが影響していないはずがないのです。
ほんの少しの呟きだったとしても、それが本心でなかったとしても、何かが動けば周りのものに影響が及ぶのです。
災いを信じよ、という言葉の本当の意味を私はこの15年考え続けているような気がします。
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