忘れるべきこと

必要のない記憶は忘れるようにしておかないと、いざ知識が必要なときにそれを引き出すのに邪魔をすることになる。

というのは、シャーロック・ホームズの言葉です。

中学生でシャーロック・ホームズにハマって読破しました。えいむです。

(今のイギリス贔屓、紅茶好きもホームズ好きが高じてのことです。好きなアニメは犬ホームズです。)

忘れようとして忘れることなんてできるのか、とちょっとびっくりしましたね。

子供の頃から記憶力が良すぎて、相手の間違いや勘違いを指摘するたびに逆ギレされて怒られて来たので、そんなことができたら便利でいいのにな。と思ったのでした。

ずっと音楽が好きで大人になったら音楽生活をしたいと思っていたのに、高校生くらいから作曲を始めてあることに気づいてそれを諦めました。

メロディをかいている途中で記憶にある他の楽曲にすり替わってしまうのです。

最初の1フレーズを思いついたところで次のフレーズはそこに続きそうな頭の中に記憶されているすでにある楽曲に続いていってしまい、そのまま自らの新しいフレーズを続けることが困難になる。

せめて作曲中だけでも他の楽曲のことは忘れて頭に流れなければ、曲が書けるのに。

作詞ではそんなことないのに何故なんだろう。と、思い悩むものの変えることができず作曲をするのはやめました。

以前ここでも書いた、記憶は全て一つずつ脳細胞に刻まれるので、決して忘れることなどない。思い出せないだけだ。という話も同じ頃に聞いていたので

自らの意思で記憶したことを忘れるなんてなかなか信じ難かったです。

思い出さないようにするのは可能だけれど、忘れることは不可能である。

ただ考え方としては思い出さないようにすることと忘れることはほぼ同じことだな、と解釈し

思い出さなくてもいいところにしまっておけば、忘れることができなくても思い出せない以上は覚えていない忘れてしまったことと同等なのだなと思ったのです。

(ここでは一旦シュレーディンガーの猫は無視する。)

じゃあ忘れるって何だ?

一度記憶したはずのことを、思い出さない、思い出せない、記憶に残ってない、記憶した記憶がない、と、思い込むことか?

無意識のうちに覚えていないと思い込んで思い出さずにいることを指すならば

自ら能動的に忘れることなんてできるんだろうか?

思い出したくないことを都合よく忘れることができれば、悩みなんてほとんどなくなるだろうに。思い詰めることもなくなるだろうに。

私は何の関連もないことを羅列して覚えることは苦手です。

だから歴史の授業は大嫌いでした。

まぁ学校教育の精度というものはほとんどが担当教諭の力量ですから、つまらない教師に当たったんだなとは思っています。

だって考古学は大好きだし、古代文明やその遺跡、神の名前はしっかり覚えているんだもの。

私が受けた歴史の授業は年号と歴史的一大事、それに関わった人たちと土地のことを、ただ覚えるだけだったと記憶しています。

しかも似たようなことばかりを組み合わせを間違えずに覚えなければならない。

覚えるだけで考えずに済むことなら本なりメモなりを参照すればそれでいいことなのに、何故わざわざ覚えなければならないのだ。と腹さえ立ちました。

何がどう影響して今の日本、世界ができているのかを理解できるように教えてくれる教師がいなかったのですよ。

こうして教師のせいにして理解と記憶をする努力をしなかったことは認めますが、だって最初の印象があまりにもつまらなかったんだもの。

逆に理科では起源から変化、影響、その結果などとても興味深く面白く授業を聞いたものでした。

それは流れがあったからだな、と今になって思います。

以前の職場で教育係だった時に私の話はわかりやすいと言ってくれた方々もいました。

それはちゃんと流れを組んで話を組み立てていたからだと自覚していました。

流れを止めるということは澱むということで、重く濁った不必要なものが溜まるわけで。

目的があって貯蔵するのであれば、それは淀まないようにしっかりと管理され必要な分だけを必要な状態で保存するということ。

流れを止めるのとは全く違う。流れるべきものの流れを止めていいことなんて何もない。

つまり必要のない知識や記憶が多ければ多いほど、流れを堰き止め必要な記憶を引き出す邪魔をするということなのだな。動脈硬化みたいな。

だからこそホームズは、必要のない記憶は忘れるようにしておく。と言ったのだ。

ただ自分に必要であれば、普通の人には必要のないところまでしっかり記憶しておかないと今度は逆にまた流れを止めることになる。

そしてホームズはタバコの灰の色や形状、落ちたときの広がり具合などからでも銘柄がわかるように、タバコ自体の形状匂い色だけでなく膨大な知識を持っている。

それは覚えておく必要があることだから。

自分にとって役に立つことであれば、普通は必要ないことであっても覚えておくべきである。

いくつも専門知識を必要とする職業に就いてきたからこそ私にも理解できることだ。

つまり本当は必要ないのに、こんなことまで知ってるんだよ!すごいでしょ!と言うだけのために知識を求めるのは全く意味のないこと。それは本来の知識ではない。

アデプトプログラムでお話しする内容について、終わった直後はほとんどの人が半分かそれ以上のことを理解できずに覚えていないと言われます。

それは今まで全く必要のなかった知識や考え方であるからで、アデプトを受けている最中にわからなかったのであれば、また求めればそれを知る、理解する機会は得られるので

まずは興味を持って知りたいと思うところから始めて欲しいと思っています。

(アデプト受講済みの方対象のお茶会、復習会、受講後の体験シェアお話し会などもリクエストで開催しています。私がアデプトした方でなくとも受講可能です。)

興味を持って知りたいと思う、そこが始まりのスイッチなのです。

必要ないことを忘れることと同じくらい、必要なことを知ることも大切。

英語では、覚えている、思い出す、思い出、全てrememberという言葉で表されます。

re-memberなのであれば再びメンバーにする、という字源なのかな。

メンバーとは数学では要素、建築用語では部材などという意味もあります。

思い出してもう一度自分の一部として存在させるわけですね。

そして英語で忘れる、思い出せないという言葉はforget。

for-get、つまり、getするために。新しい何かをそこに置くために場所を空ける、とも読み取れます。

日本語で心を亡くすと書くのとは大違いな作りですね。

新しいものを得るためには古いものはもういらない。邪魔になるだけ。ということですね。

アデプトの内容が理解できないのは古い知識がいっぱい詰まっているせいで新しい知識や理解の仕方が入る場所がないからでしょう。

それでも知りたいと思うのならば、古くいらないものを捨てて場所を空けてからまた取り込めばいいのです。

ただ、今持っているものが実はいらないものだと思っていないから後生大事に持ち続けている。

そのいらないものをいらないと判断できるようになるためにも、アデプトを受けてスイッチを入れることは大切です。

長い時間をかけて、よくわからない話を聞く会。だと思わずに、気になった方はとりあえずアデプトを受けてから、考えても遅くはないですよ。

それなりに高いお金と長い時間をかけるわけですが。もしこれで考え方が変わってそのおかげで人生が変わるのならば、そのきっかけを得るためと思えばそこまで迷う必要もないのではないでしょうか。


中学生の頃、何故か辞書をよく読んでいましたが(国語辞典は多分読破したような)。英語辞典ももっと読んでおけばよかったな。

ちなみに英語のつくりで理解できないもの、誘拐はkidnap。

kid-nap。子供の昼寝が何で誘拐になっちゃうんだろう。

kidsじゃないから、子供は一人。一人で昼寝させると誘拐されちゃうよ。あぶないよ。ってことか?日本で言う神隠し的な語源なのだろうか。妖精に連れて行かれちゃう感じ?


聞いても理解できない内容かもしれませんが、見方や考え方を変えるきっかけには必ずなりますアデプトプログラムはリクエストをいただいて日程を調整いたします。

すでにアデプトを受講済みの方の復習や質問にお答えするお茶会のようなものも開催いたします。

お問い合わせください。

Philae Glass

Craftwork and Healing Studio

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